JR東日本の新製機として15機が製造されて一躍話題となったものの、寝台特急北斗星・カシオペア号の運転終了とともにJR貨物へあっさりと売却されてしまったEF510形500番台。
数年ならEF81形の延命で事足りたような気もするところですが、なぜ製造され、なぜ短期間で引退となってしまったのか、懐かしい画像とともに考えます。
きっかけはEF81形の老朽化
JR東日本が新製機を導入するきっかけとなったのは、言うまでもなくEF81形の老朽化・故障発生が続いていたことが大きな要因です。
当時のJR東日本では、寝台特急北斗星・カシオペア号だけではなく、あけぼの号でEF81形がロングランを毎日行なっていたほか、工事用臨時列車=工臨での活躍、新車・改造車の配給輸送、そして常磐線貨物列車の水戸駅以南と信越本線安中駅までの貨物列車1往復をJR貨物から受託して運行していました。
登場当初はカシオペア号・北斗星号の牽引機としてスタートしましたが、実際に置き換えた機関車の多くは黒磯駅通過非対応=流れ星なしのEF81形が中心となっており、ほぼ同数のEF81形の駆逐に成功しています。
一方で、日本海側の運用や配給輸送などはそのままEF81形が活用されたほか、常磐線運用についても工臨・貨物ともに不足気味になることから、田端に6機残されたEF81形を中心に代走が見られることもあり話題を増やしてくれた人気の機関車となりました。
機関車牽引列車が徐々に減っていることをファンから嘆かれていた最中、一躍脚光を浴びることとなった新製機たち。
24系やE26系だけでなく、貨物列車やチキ・ホキといった貨車、そして12系などのイベント向け客車の回送など活躍の場は多岐に渡りました。
大きな転機は常磐線問題
新車導入でしばらくは安泰かと思われていたJR東日本の機関車たち。
2011年3月11日に発生した東日本大震災で、東北の鉄道網に深刻な打撃を与えましたが、そのなかでも深刻なダメージを受けたのが常磐線です。
福島第一原子力発電所付近が立ち入り不可能となり、復旧工事の目処が全く立たなくなってしまいました。
津波で流されたED75 1039号機が牽引していて注目された92列車をはじめ、数往復設定されていた常磐線経由の貨物列車についても運転を行うことが出来なくなり、これに関連して水戸駅以南で行われていたJR東日本への貨物列車運行委託業務が取りやめられることとなります。
追い討ちをかけるように、当初から想定されていた青函トンネルの工事進展・北海道新幹線開業を前にした寝台特急の運行終了が決まり、EF510形の2大業務を一度に失うこととなりました。
JR東日本ではEF64形・EF65形・EF81形といった国鉄型電気機関車がまだまだ活躍していたものの、最新鋭のEF510形を手放すこととなり、置き換えきれなかった田端のEF81形に定期検査が施工されていくなかでJR貨物への譲渡が進められていくこととなります。
最近JR東日本では機関車列車削減に進んでいることは他記事で記した通りですが、もしかしたらこの頃から既に検討されていたのかもしれませんね。
少なくとも、EF510形採用の時点で将来的な運用変化で余剰となった場合に売却出来る観点で採用したという背景が役立つこととなりました。
日本海縦貫線で2回目のEF81形置き換えを実現
想定以上の短期間でJR貨物に譲渡されることが決まってしまったEF510形500番台。
譲渡後すぐに外観の変更が行われており、青色の13機については流れ星マークのみが剥がされているほか、カシオペア塗装機だった509,510号機はカシオペアのカラー帯も剥がされて銀一色の武骨な外観に改められました。
そして譲渡後の運用先は古巣の常磐線貨物とはならず、既にEF510形が多く活躍する日本海縦貫線となりました(常磐線貨物はEH800形登場で余剰気味になったEH500形が継承)。
JR東日本時代には上越国境超えの絡みもあってか運用実績のなかった(、日本海側を走行することとなります北斗星・カシオペア迂回運転時はEF81形が担当)。
また、JR西日本エリアの走行も初となっているほか、近年では岡山までのロングランも設定されていますので、活躍の幅に関しては製造当初より広まっている印象です。
JR東日本ではEF81形の置き換え完遂前に手放されたEF510形でしたが、JR貨物では富山機関区のEF81形の置き換えを達成しています。
JR貨物ではJR化後の機関車の塗装直しの頻度を大幅に下げているため、現在も0番台の赤色・500番台の青色・銀色の3色でファンを楽しませてくれているEF510形。
今後、赤色への変更が行われるかどうかは現時点では不明ですが、寝台特急牽引機として生まれたことを主張する現在の塗色での活躍継続に期待したいところですね。
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