【EF64-0】37号機緊急登板!ロクヨンゼロの歴史・静態保存機も?

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EF64形のうち、初期に製造された0番台。

1000番台より少し短い車体ながら、EF62,63形に続く国鉄の山男を代表するデザインで多くのファンがいる形式です。

本日のカシオペア牽引はもちろん、過去の活躍や塗装バリエーション、静態保存機や今日の活躍まで、筆者も大好きなロクヨンゼロの魅力を振り返ります。

EF64 0番台とは

昭和設計の機関車ながら車齢が比較的若い1000番台の多くが令和の時代も第一線で活躍する一方で、製造数は1000番台より多く、本州各地で活躍していた0番台。

当初の投入線区は意外にも現在の山形新幹線の在来線部分・奥羽本線の板谷峠越え用です。

数年後に交流電化に改められる予定があったので、EF18形を置き換えるだけでなく、山岳線区の標準機関車として開発されています。

中央線系統の直流山岳線区での貨物列車牽引が中心だった彼らもどんどん活躍の場を狭め、現在は高崎周辺で動態保存機に近い扱いで37号機が原型に近い形態で孤軍奮闘するのみです。

JR4社に引き継がれて生涯を終えたロクヨンゼロ

偶然にも、JR東海・西日本・貨物の置き換えは3社ともに2008年度に行われました。

JR貨物での活躍

EF64 0のほとんどはJR貨物に継承されて、塩尻機関区・愛知機関区(分割民営化当初は高崎機関区・岡山機関区にも)に配置されてそれぞれ中央東線・西線にて運用されていました。

主な活躍の場であった中央線では、運行される列車の多くが重連総括にて運転されており、力強い走りが魅力的でした。

また、EF65形同様に機器更新工事も順次施工され、施工車両には区別のため、水色・青色・黄色・白色という当時のJR貨物の標準的な塗装が施されています。

大宮工場での施工がほとんどながら、57,67号機は広島で施工されたため、他の同僚より明るい水色のほか、貫通扉が黄色であったことから「からし」の愛称で親しまれていました。

その後も順調に活躍をしていたものの、1000番台の上越国境越えEH200形に置き換えられた余波などもあり、中央線のロクヨンゼロは急速に活躍の場を狭めました。

中央東線の運用がメインだった塩尻機関区の廃止があったために中央西線での活躍が主になった一方で、愛知機関区へのEF64集約により、従来はEF64 1046〜1050が運用されていた伯備線での活躍という新たなステージも生まれています。

しかしながら、首都圏の1000番台の運用を減らすことにより置き換えが進められ、現在は全車引退となっています。

他の旅客会社継承形式と異なり、旅客会社より引退が早く進み、2003年度から少しずつ置き換えがされて2008年度に引退となっています。

お召し牽引機として華々しい活躍をした過去のある77号機がお召し牽引仕様に復元をしたものの、その後は稲沢での放置で劣化が進んでおり、去就が気になる状態です。

JR西にはトップナンバーも

JR西日本に継承されたのは、1号機と9号機の2機となります。

そのうち1号機はEF65 1号機ともども西日本に継承されて注目されるも、早々に引退して静態保存ののち、EF65 1号機が京都鉄道博物館に展示されたのとは反対に、20年近く保管されたものの2009年1月に解体されています。

一方の9号機は伯備線でのゆうゆうサロン岡山の牽引や工臨列車の牽引、伯備線貨物列車の代走けん引など幅広く使用されて近年まで運用していましたが、こちらも同時期の引退となっています。

JR東海ではユーロ色で活躍

JR東海には2号機、35号機、66号機が継承されました。

そのうちの2号機は最後まで原色を維持し続けたものの、ほかの2機はユーロピア・ユーロライナーに合わせた塗色に塗り直され、客車の廃車後も引退までそのままのカラーで活躍していました。

飯田線はEF58 122号機と157号機の牙城でしたので、EF64は主に中央西線での活躍を軸に、東海道本線でもEF65が引退した後も、JR東海の工臨列車がディーゼルカーのキヤ97系に置き換えられる形で2008年度まで活躍を続けていました。

EF65形を早々に引退させた一方でEF64 0番台が長生きしたという点は他社と異なる点ですので、十分使命を全うしたと言えるでしょう。

唯一の残存機はJR東・6機が継承

現在も活躍しているEF64 0番台はJR東日本に継承されたのは36〜39,41,42号機の6機うち、最近までぶどう色2号・茶釜として活躍していた37号機です。

37号機と41号機が茶釜となっていましたが、北長野運転所→長野総合車両所(→センター)所属であった41,42号機については同所の客車ジョイフルトレイン「浪漫」牽引がメインで、浪漫の引退とともに活躍の場を狭めたのちに引退しています。

一方の高崎車両センター所属だった36〜39号機は工臨牽引のほか、中央東線の甲府常駐が常にあり、貨物列車が空転した際の救援などのさまざまな用途で中央線の主として第一線での活躍が続いていました。

しかしながら、上野〜秋田間を走行する寝台特急あけぼの号のうち、長岡以南の上越国境越えの牽引機がEF81からEF64に変更となる際、長岡車両センターの1000番台だけでは賄えないことから、37号機と38号機が長岡車両センターに転属、翌年の寝台特急北陸号の廃止まであけぼの号の牽引に充てられました。

この際に2機はヘッドマークステーの位置変更がされたことでヘッドマークを掲げることとなり、ロクヨンゼロの定期寝台特急牽引、それもヘッドマーク付きとなったことから、当時の機関車を追いかけていたファンにはとても嬉しいイベントでした。

一方で、共通運用とはならず、北陸号の牽引には充てられなかったほか、北陸号の運転終了とともに高崎車両センターに再転属となっています。

中央線のほか高崎エリアでの活躍に戻ったものの、寝台特急あけぼの号廃止に伴って長岡から転属した1052,1053号機が実質的に置き換える形となり、36,38,39号機は順次廃車となりました。

その後も茶釜として孤軍奮闘が続いていた37号機でしたが、直近の全般検査にて、塗色を2006年以来のぶどう色から原色に、更に窓ガラスのHゴムを白色に変更されました。

それ以降はEF60 19号機に代わり高崎エリアほぼ専属での活躍となっています。

現在はELぐんま〇〇号といった12系や旧型客車の牽引のほか、高崎エリアの工事用臨時列車でその雄姿を見ることができるのみで、EF65 501号機のような動態保存に近い存在です。

しかしながら、2019年(令和元年)5月3日~5日(復路は回送)のカシオペア紀行では、当初充当予定だった1053号機が故障を起こしたため、急遽、高崎から37号機が送りこまれて重量級のカシオペア牽引に緊急登板となっています。

今回のカシオペア牽引は突発的なものでしたので、37号機や同じく原色白Hゴムに復元された1001号機については、今後も高崎エリア以外での活躍が見られるかは不明です。

ロクヨンゼロは中央線が一番似合うと思いますので、甲府常駐・中央線の工臨牽引などが実現すれば、大盛り上がりとなることは間違いないはずです。

今後の活躍に引き続き注目が集まります。

保存機も各地に存在

先述のように、JR貨物ではEF64 77号機をかいじ国体お召列車充当当時の仕様に復元したのちに野ざらしとなっています。

また、18号機が勝沼ぶどう郷駅前の旧線跡に静態保存されていることが有名です。

あえてなのか、JR貨物特有のエンド表記もそのままとなっており、貨物輸送の第一線で活躍していた当時を思わせる姿です。

このほかにも22号機がカットモデルで鳥取県内に存在しているようです。

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動画資料集

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