1970年10月1日に国鉄関西管理局の主導で運行を始めた東海道本線「新快速」。
アーバンネットワークの骨格として現在も京都線・神戸線を主軸に京阪神エリアで活躍していますが、2020年10月1日に営業運転開始から50年の節目を迎えました。
概要は公式発表の通りですが、数々の逸話が残る「新快速」の面白いエピソードとともに、これを記念して運行を始めたヘッドマーク編成についてお伝えします。
ルーツは戦前の“関西急電”・東海道線快速の歴史
現在も関東圏・関西圏の鉄道ネットワークを比較する際に、関東はJRと私鉄が協調路線・関西はJRと私鉄が競合路線と言われることが多いですが、この始まりは戦前に阪神・京阪・阪急・新京阪(現在の阪急京都線)・山陽電鉄と戦前に相次いで開業した並行私鉄の登場があります。
国鉄はしばらく中長距離ユーザーを主軸としていたものの、1930年に蒸気機関車の快速列車・1934年に電車急行電車、そして1936年には流線型の先頭形状で利用者の目を惹いた52系急行型電車がデビューしました。
この時点で京都・大阪・三ノ宮・元町・神戸のみの停車とされ、現在の新快速のような追加料金不要で速達性の高い都市間連絡列車の運転が始まりました。
太平洋戦争の戦時体制強化により1942年から1949年までの休止期間があったほか、1950年には湘南顔として有名になった80系急行型電車の投入、1956年には種別を快速に変更しています。
この看板車両となっていた52系電車のうち、クモハ52001が1981年に準鉄道記念物となり、1987年の国鉄分割民営化ではJR西日本に継承されて現在は吹田工場正門前で静態保存されています。このほか、飯田線に転用されて余生を過ごしていたクモハ52004についても日本車輌製造→佐久間レールパーク→リニア・鉄道館と転々としながら現在も静態保存されています。
そして、このアイボリーと茶色のデザインは初の新快速専用形式として登場した117系のカラーリングになったほか、その後も221系・223系・225系と側面窓周りは茶色というカラーリングが継承され続けています。
新快速の歴史は関西の鉄道網の成り立ちを語る上で外せない“関西急電”の復活の軌跡とも言えるでしょう。
国鉄本社と大阪鉄道管理局の攻防戦!?
一部で大阪万博の年であることが強調されていますが、新快速の登場は大阪万博終了直後の1970年10月1日です(大阪万博は同年9月13日に終了)。
このため、万博輸送のために登場した列車ではない点が誤認しやすいものとなっています。ただし、万博輸送のために転入してきた113系横須賀色を使用してスタートさせたことから、新快速の初代車両となった113系は横須賀色となっていた経緯もあるので、一概に大阪万博と全く関係がないとも言えません。
僅か1年半となる1972年3月には早くも153系急行形電車に代替されていますが、これは山陽新幹線の岡山駅までの延伸開業による急行形電車の余剰発生が背景です。1時間に4本という体制はこの時から現在まで引き継がれているほか、この際に採用された「ブルーライナー」のカラーリング(白地に青帯の塗装)は現在まで多くのファンを有しています。
なお、113系のブルーライナーは同じ1972年3月改正で登場した阪和線の新快速(6年で廃止)に採用されたことがルーツですが、そのまま阪和線で活躍する113系のカラーリングとして2011年まで営業列車にて使用されていたため、ブルーライナー=阪和線のイメージをお持ちのファンの方も多そうです。
この1970年代の新快速では、依然として複々線の外側=列車線・内側=電車線として前者を国鉄本社が、後者を大阪鉄道管理局が使用していました。金沢方面の特急「雷鳥」と新快速が大阪駅を毎時0分に同時発車し、京都駅に先着するというダイヤが敷かれており、後年に雷鳥側が発車時刻をずらすまで続けられたことが有名なエピソードでしょうか。現在でこそ外側線を快走するイメージが強いですが、この複々線の使い分けは1986年まで続きました。
その後は速達化が進められるも……
3代目として1980年に117系電車が登場。ラッシュ時の乗降問題や並行私鉄で採用が始まっていた転換クロスシートの採用など、専用形式として新快速での活用に特化した設計となりました。
その後の最高速度の変化としては、117系で115km/h・221系で120km/h・223系で130km/hと速達化が進められてきました。
2005年のJR福知山線脱線事故を契機に2006年ダイヤ改正にて余裕時分の見直しがされたほか、その次に投入される225系は車体強度向上など、速達性より安全性に舵を切ったことは皆様ご存知の通りです。
現在も5代目となる223系・最新の6代目225系が新快速で活躍しているほか、113系・117系・221系も関西圏で健在です。153系以外の歴代車両が未だ現役という点もJR西日本ならではでしょうか。
運行面では、1995年の阪神・淡路大震災からの復旧後に117系を再活用した増発がされたほか、交流電化区間の直流電化への変更により1991年に北陸本線長浜駅・1996年に湖西線近江今津駅、そして2006年には敦賀駅まで運転区間を拡大しています。
この直流電化への変更は新快速の直通運転が主目的ですので、改めてこの列車の偉大さを感じさせられます。
ヘッドマーク付き列車は“Aシート編成”
さて、今回の50周年を記念して、223系1000番台の2編成にヘッドマークが掲出されています。
対象となるのはAシート連結列車の米原側=12号車、つまりAシート連結編成の12号車のみに掲出される格好です。運用が固定されることでファンからは狙って乗車・撮影が楽しめる一方で、原則として野洲駅〜網干駅間でしか出会うことが出来ません。
通常の新快速の列車番号は末尾がMとなっていますが、Aシート連結列車は末尾がAとなっている点が特徴的です。
・平日運用
列車番号 | 種別・行先 | 始発駅 | 時刻 | 終着駅 | 時刻 | ヘッドマーク |
3424A | 新快速 野洲行 | 網干 | 7:22 | 野洲 | 9:49 | 先頭側 |
3449A | 新快速 姫路行 | 野洲 | 10:59 | 姫路 | 13:02 | 最後部 |
3516A | 新快速 野洲行 | 姫路 | 18:10 | 野洲 | 20:16 | 先頭側 |
3541A | 新快速 網干行 | 野洲 | 20:59 | 網干 | 23:16 | 最後部 |
・土休日運用
列車番号 | 種別・行先 | 始発駅 | 時刻 | 終着駅 | 時刻 | ヘッドマーク |
3434A | 新快速 野洲行 | 姫路 | 8:40 | 野洲 | 10:43 | 先頭側 |
3457A | 新快速 姫路行 | 野洲 | 11:59 | 姫路 | 14:02 | 最後部 |
3494A | 新快速 野洲行 | 姫路 | 16:10 | 野洲 | 18:16 | 先頭側 |
3529A | 新快速 姫路行 | 野洲 | 19:28 | 姫路 | 21:34 | 最後部 |
なお、ごく稀にダイヤ乱れ等で他の運用に入ることがあり、この場合はAシートは無料開放の乗り得列車となります。発生する確率はかなり低いほか、当該列車の乗車口案内でしか判別も難しいので、これを狙うのはかなりハードルが高そうです。
コメント
新快速、運転開始50周年、おめでとうございます。
私はこれまでに青春18きっぷで、何度もで新快速に乗車しましたが、あのスピード感は病み付きです。
これを契機に新快速がテーマの、本が発売されるといいですね。