個性豊かなラインナップで多くのファンを持つ武蔵野線205系。
最後の1編成となっていたM20編成が10月19日の01E運用で定期運行を終え、本日配給輸送にてジャカルタへの旅を始めます。
武蔵野線の205系の歴史をおさらいしつつ、譲渡対象の42編成以外にも短期間だけ活躍した珍編成についてお伝えします。
5編成の“当たり枠”・新製配置は豊田
205系の歴史は古いですが、武蔵野線としての配置は1991年からとなります。これは1973年に開業した武蔵野線としては現在まで唯一の“新製配置”(新車として直接投入)です。
前年に京葉線に投入された通称“メルヘン顔”と呼ばれる前面形状変更車が8両5編成配置され、増発・8両化で武蔵野線の輸送力向上に大きく貢献しました。
京葉線内の勾配に対応するため、電動車6両とされた構成が晩年まで継承されています。
武蔵野線・相模線車両の配置は豊田電車区(現在の豊田車両センター)となっており、当時はE1〜E5編成を名乗っていました。
その後は山手線へのE231系500番台投入による“大転配”により34編成もの仲間が加わりました。103系が一気に置き換えられた他、同時期に武蔵野線車両の所属は現在の京葉車両センターに移管されています。
転属にあたって不足する電動車を確保するため、VVVFインバータ制御による高出力化により4M4T組成を実現しています。
当初計画からの変更過程では、東京臨海高速鉄道りんかい線との直通運転開始による運用増を賄うため、埼京線・八高線・南武線とともに計画が修正されました。この結果生え抜きのM61編成がVVVF化改造対象に加わり、捻出された電動車はM32編成へ組み込まれています。
晩年となる2015年にはE233系8000番台投入で余剰となった中原電車区からナハ6,7,9編成を8両2編成に組み替え、M51編成・M52編成が仲間に加わっています。
続々と渡航する205系では初の全車譲渡
埼京線・横浜線・南武線に続く譲渡となった武蔵野線の205系ですが、これまでの3路線と異なり全車両が譲渡対象とされた点も特徴的です。
生え抜き車両40両は細部機器の取り扱いが異なるほか、転入車両の多数が山手線出身の初期車両であることを考えると、武蔵野線で活躍していたグループはかなり幸運な存在と言って間違いないでしょう。
早速現地では12両編成という205系の国内最長編成を超える長さで組成されており、特に5編成分のみの“メルヘン顔”が人気なのか、中間に入らないように編成を組み直しています。
ジャカルタでも最大勢力となっている205系の譲渡劇はこれにて終了となりますが、今後もJR東日本をはじめとする日本の通勤電車の“渡航”が行われるのか、そしてどの形式が選択されるのか。楽しみですね。
42編成だけじゃない?武蔵野線を掛けた205系
さて、武蔵野線は輸送力増強・東京メガループの拡充などの施策により、基本的には転入して編成数を増加させる動きが続けられてきました。このため、武蔵野線の205系は全車両が譲渡……という認識でもほぼ差し支えはありません。
例外となるのは、わずか2年の活躍に留まったM66編成と、乗務員訓練のみで使命を終えたケヨ81編成が挙げられます。
このうちM66編成は、武蔵野線の運用数増加のため、ケヨ23編成のうち中間付随車2両を外して6M2Tの原型顔編成として2007年に登場しました。
当時は原型顔は全てVVVF車でしたので、異例の存在となりました。
武蔵野線としてはこれで所要数を賄えたものの、同時期となる2007年1月21日に川越線で踏切事故が発生。205系カワ24編成(いわゆるハエ24編成)中間電動車2両が深刻なダメージを受けました。
こちらは京葉線で活躍していたケヨ21編成から277番ユニットを捻出し、残された8両(4M4T)は大宮総合車両センター東大宮センターにて放置される日々が続きました。
それぞれの補填として置き換えが進められていた中央線快速電車の201系2編成が京葉線に転入して、一旦動きはひと段落します。
その後、2009年には8両27編成が配置されていた横浜線についても運用数増加に合わせ、1編成の205系が必要となりました。この際に選出されたのが東大宮で放置されていたケヨ21編成と、異端児の武蔵野線M66編成です。
まずはケヨ21編成を長野総合車両センターにてVVVFインバーター化改造。他の原型顔の205系同様の形態で武蔵野線の仲間入りを果たします。
これによりM66編成が捻出され、保留車となっていた中間付随車2両を再活用する代わりに電動車1ユニットを編成から除外。横浜線同等の4M4T組成となりました。
一方で、MGがないことから運悪く編成から外されてしまったMM’44ユニットについては、2009年に使命を終えており、こちらは事故廃車以外で205系電動車が除籍された初の事例・205系が武蔵野線カラーのまま解体された唯一の事例となりました。
以上の流れを振り返ると、ケヨ21編成をそのまま横浜線に転出すれば余計な改造が生まれず効率がよかったようにも思えます。
ここからは推測の域を出ませんが、直接転用した場合はMG(補助電源装置)の確保が必要となることが主因と推測できます。ケヨ21編成が埼京線へ捻出していたMM’277ユニットはMGを搭載しており、そのままでは営業運転が出来ません。両路線ともに界磁添加励磁制御+SIVという組み合わせが存在しないことや、VVVF化すれば新系列電車として扱えて保守効率が上がることからこの転用が選択されたものと推察できます。
このほか、先頭車ではケヨ21編成が中原・三鷹を由来としておりATC搭載改造の手間があったことも加わり、編成単位で入れ替わったものと考えられます。
余談ですが、このM66編成をルーツとしたH28編成は横浜線からジャカルタへ旅立ったグループに入っており、車齢の若い横浜線生え抜き編成に譲渡対象外となった車両も複数いるなか、ジャカルタで武蔵野線各編成と再会を果たしています。
もっと短命だったケヨ81編成については別記事で記していますので、併せてお読みいただけますと幸いです。京葉線へ転入した209系元ウラ81編成の編成札を付けたとも噂される、武蔵野線で活躍(?)した205系の歴史の中でも異端中の異端の存在ですが、武蔵野線の歴史を紐解く上では外せない存在です。
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