近年は珍しい列車にファンが殺到し、安全確保のために列車の定時運行が妨げられる事例が後を断ちません。
事業者側が非公表で実施する「試運転」列車についても、どこからともなくファンが嗅ぎつけ安全運行の課題となりつつあります。
試運転列車と回送列車の外見を同一にするも以前から一部であったものの、事業者側自身が意外と慎重な姿勢です。
ちょっと嬉しい試運転表示
鉄道車両の行き先表示器には定期営業列車で設定される種別・行き先に加え、回送列車や貸切・団体列車といった一般旅客が乗車出来ない理由を示す表示、そして英語表記“Test Run”通りの試運転列車であることを示す表示内容を有することが一般的です。
試運転列車が設定される経緯としては、重要部検査・全般検査といった法定の検査施工後に正しく機器類が動作をするかを確認するためのもの、車両新製・転用や保安装置改修などの従来と異なる設備を導入する準備段階に実施するもの、動力車操縦免許の新規取得や他線区への異動など乗務員養成を目的としたものに大別されます。
いずれもこれまで多くの鉄道事業者では「試運転」の種別表示を駅・車両の表示器類に掲出する事例が一般的でした。
見かける機会が少ない試運転表示のLED・方向幕を掲げて本線上を走行する試運転列車が運転される際に、沿線内外から撮影を目的としたファンが沿線各駅・路線の道中に集結しがちです。
試運転列車の代表格であるドクターイエローがライト層の見学に人気なことと同様に、通常の営業用車両が試運転の表示で本線上に現れる姿は、一通りの事業者公表の鉄道イベントを齧ったあとの中堅ファン層から注目が集まりやすい傾向となっています。
2010年代に入り、駅・沿線の撮影ポイントに撮影者が集中し安全運行の妨げとなることを避けるべく、試運転などの非公表の列車が終着駅に到着するまでSNSに掲載する「即上げ」行為を避けることを推奨するなどといった、ネタものを中心に撮影を層における独自の自治改善文化なども生まれました。
ただし、事業者側のほとんどが運転日・時刻を公表していないため前提のため事業者がSNS掲載自体について言及することがないのはもちろん、一般の利用者の偶然による目撃情報に制約を掛けることも出来なければ、過去のパターンから事前に運転日や時刻がある程度の推測が出来てしまうなど、効果があるかと言われれば疑問符のつく内容です。
もちろん事業者側も意図がある
あれこれトラブルを生み出す試運転列車ですが、そもそも事業者側が試運転列車であることを車両に明示しなければレアリティが下がりトラブル自体を減らせるのではないか?という疑問を抱きます。
現にこれに類似した施策を実践している事業者・区所もいくつか存在します。有名な事例では小田急電鉄が2020年に試運転列車の種別表示を原則「回送」表示とするようになりました。
この内容はホームページに以前から掲載(小田急電鉄リンク)されていたものが最近再びSNS上で話題となっていましたが、不要な外出自粛が叫ばれる時期に趣味的な撮影へ人が密集することを避けることが特に望まれる時期に開始された対策であることは留意しておきたい内容です。
最近の運行では列車・運転日によって試運転表示とされる事例も珍しくなく、日によって違うランダム性がかえって試運転表示のレアリティが上がってしまっている状況の方がマイナス要素となっているようにも思えます。
また鉄道車両における「試運転」の種別表示自体が必須の設備ではないため、試運転表示自体を有しない方向幕・表示機を使用するため物理的に試運転表示が見られない車両も、過去から現代まで一定数存在します。
同一形式内で有無が分かれた事例としては、首都圏で運用されていた185系A,B,C,OM編成それぞれで異なる前面・側面表示を採用しており、東海道線専属のA編成・C編成には試運転の表示が用意されている一方で、コマ数の制約から高崎線と東海道線の双方で運用される185系B編成・OM編成では割愛されて回送表示を使用していた事例が挙げられます。
185系現役時代はそもそも同車の注目度が低く、波動用に転用されはじめて10年近くが経過した今、波動用のB6編成に試運転表示がなくリレー色のC1編成に試運転表示がある……といった違いが残されていること自体がC1編成復活当時に話題にもなりました。
他に類を見ない特徴的な種別表示として、JR西日本221系のうち奈良支所所属編成に採用されている、「回送・試運転」という1コマにまとめたものが用意されており、LED化が進んだ現代でも他線区・他社に波及しない独自の表示となっています。
「試運転列車」全てに共通するものとして、定期列車が走行しない時刻・時間帯に設定された列車であるという要素が挙げられます。
保守作業から駅業務までが子会社・関連会社に委託されるなど1つの組織として運営されていない鉄道業界において、内規通り事前通達をする手順となっていても連絡が漏れていた・見落とされた……などといった事例はゼロではありません。
また、これらの列車も定期回送と同じ「回送」表示だと、ダイヤが乱れた際に外見でどれが試運転列車なのか外見では判別が付きません。
特に、検査明けの試運転や車両新製時に実施される公式試運転・性能確認試験などにおいては、本来の車両の加減速性能を満たしているかどうかの機器動作を試すため、通常の営業・回送列車とは異なる箇所で加減速する項目が用意されます。
よく「試運転列車が目の前で急停車した!きっと撮り鉄のせい!」などといった誤った情報が拡散する事例がありますが、試運転列車の多くが最高時速で走らせたり急ブレーキをかけたりを試して車両性能を満たしているかを試験するために実施している……という列車の設定経緯自体が見落とされているものも少なくありません。
そして、このような急制動試験自体はダイヤ設定時点で前後の営業列車との距離が保たれていますし、もちろん保安装置が正しく動作すれば衝突などの大規模な事故は考えにくいものです。
一方で、路面電車のような保安装置が動作しない環境で突然非常ブレーキで停車したら衝突の恐れが生じますし、実際に2008年には都電荒川線においてブレーキ制動試験をした試運転列車に後続の営業列車が衝突する事故も発生しています(事故調査報告書 PDF)。
ドクターイエローが派手な黄色い塗色で目立つようにしているのと同様に、通常列車と異なる意図・経緯で走っている列車であることを関連会社を含めた職員全員が外観から判別できることが安全確保の視点で望まれる……という趣旨が最も大きなものでしょう。
試運転表示と回送表示を列車の種別通りに使い分ける事業者においても、乗務員養成の訓練目的の試運転列車は回送表示とする事業者・区所も見かけます。
特に乗務員にとっては不慣れな環境下で撮影者からの過度な注目を受けることはノイズとなるほか、営業列車に近い環境で運行する列車だから試運転表示をして差別化する必要がないといった判断でしょうか。
真逆の事例として、事業者側が宣伝意図を持って意図的に試運転を目立たせる事例も存在します。
試運転列車によってはその事業者において歴史の1ページに掲載されるような重要な任務で運転される列車もあります。
線路切り替え工事直後の試運転列車や、阪神大震災など災害復旧時の各線の試運転列車、瀬戸大橋の負荷試験のための機関車列車などは、鉄道史に残る非常に重要な任務を担う列車ゆえに映像記録が求められるものです。
これらのような試運転列車の記録映像が事業者自身においても宣伝効果が期待される列車については、大手〜中小メディア、SNSにおいて注目が集まりやすい外見の方が好まれます。
アルピコ交通が実際の試運転で使用したヘッドマークをクラウドファンディングの返礼品として提供することとしたこと(外部リンク)も試運転に付加価値を持たせた発想です。
通常の種別表示以外の装飾が施される事例は、沿線趣味人口が多くないJRの地方線区、中小鉄道事業者、社内で熱量の高い職員さんが多く在籍する区所でよく見られ、宣伝意図以上にファンサービスの色合いの方が強いものも少なくありません。
最近の象徴的な事例では、JR西日本の115系瀬戸内色リバイバルに際し、本線試運転時に「復活 瀬戸内色 115系3000代オリジナル色」と記載した編成札を掲出した事例が挙げられます。
試運転表示自体にマスコットキャラクターのイラストを添えた事業者も近年少数登場しており、これらの事業者では通常の試運転表示も併せて用意され、イラスト表示は直通運転開始前の試運転・サービス開始前の試乗会・車両展示会などPR効果が期待される際に使用されています。
ときめく3文字←気持ちは分かるが
事業者関係者とファンしか注目しない車両の運用番号や列車番号を掲出していたり、PR効果があればヘッドマークや車体装飾を施したりといった内容と同じで、試運転表示についても関係者とファンしか必要としていません。
試運転であることをわざわざ表記している経緯を考えれば、その表示自体に撮影者が集中してトラブルが生じるならば通常の回送と同じ表示にする……という事業者がいくつか生じている現状も、安全性向上の観点・表示の意図を考えれば至極納得がいくものです。
試運転列車の表示を明記することの事業者側内部のメリットが撮影者対策のデメリットで打ち消される状況であれば、それが目立たないよう回送表示を原則とする事業者が増えていくことは想像に難くないですし、既にその選択をしている事業者が散見されているという状況は重く受け止めたい内容です。
マナー・節度を持って撮影すべきという外野の意見としても言われる一般論はもちろんですが、その試運転列車がどのような経緯で設定されたのかを考え、幅広い視点で楽しむ心の豊かな趣味活動をしたいところです。
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