2001年3月28日に埼玉高速鉄道が開業し、2000年度まで進められた東急目黒線〜都営三田線、東京メトロ南北線・埼玉高速鉄道線の広大なネットワークが完成してから20年の年月が経過しました。
現在建設が進められている東急新横浜線・相鉄新横浜線の開業を控え、更なる変化が生まれることで注目されている系統です。
生まれも育ちも異なる4路線が“合流”するまでとその後20年の変化を振り返り、今後の期待される計画をお伝えします。
半年先に始まった目黒線直通
1990年代には東急目黒線の改良工事・年々延伸が進められていた営団地下鉄南北線の更なる延伸・都営三田線の延伸と共同運行・埼玉高速鉄道の新規開業と同時進行で複数の工事が進められて、2000年度に新しい鉄道ネットワークが生まれました。
現在運行されている東急目黒線・都営三田線・東京メトロ南北線・埼玉高速鉄道線のネットワークが完成したのは2001年3月28日ですが、ネットワークが完成するまでの動きは複雑で、何度かの段階に分けて実施されています。
目黒線となる区間の近代化はかねてより実施されており、1990年代に田園調布駅と大岡山駅を地下化工事とともに現在のような方向別乗り換えの構造に改めたほか、田園調布〜多摩川〜武蔵小杉駅間は東横線の複々線化事業という意図も強く、原形を想起するのが困難なほどに生まれ変わっています。
東京メトロ南北線は副都心線の次に新しい地下鉄路線で、開業時よりフルスクリーンタイプのホームドアを採用するなど、近未来の鉄道路線という印象の強い路線でした。
1991年の赤羽岩淵〜駒込間の開業を皮切りに1996年に四ツ谷まで、翌1997年には溜池山王と着々と都心部まで延伸工事が進められ、この完成形となったのが2000年の目黒駅延伸と直通運行でした。
南北線の計画自体は7号線と古いものでしたが、車庫建設の反対運動などの影響で計画が大幅に遅れました。この影響は現在も広大な用地を要する車両基地を設けられず、王子検車区5本で後は留置線や駅停泊という路線規模にしては極端に手狭な設備でやり繰りをしています。
一方の都営三田線は6号線と隣の番号ながら建設は順調に進められ、1968年の巣鴨〜高島平(当時は志村駅)の開業を皮切りに、1972年に日比谷・1973年には三田駅まで都心部延伸が順調に進められたほか、1976年には西高島平駅までの開業が進み、工事は一旦完結していました。
三田線では直通運行に向けた延伸工事とともに、開業時からの6000形に代わり6300形の導入を進め、直通前年の1999年に置き換え完了・保安装置と列車無線の更新のほか急ピッチでホームドア設置工事を進めるなど“近代化”が図られています。
2000年度の直通運転開始に関連した最初の動きとなったのは目黒〜多摩川〜蒲田で運行されていた目蒲線の多摩川駅での分断で、8月6日に実施されました。これにより現在のような目黒線・多摩川線が別路線となり、目黒線区間では東急3000系を使用した列車運行となりました。
続いて実施された目黒駅〜白金高輪駅〜三田駅・溜池山王駅の開業と直通運転の開始は2000年9月26日となっており、2001年3月28日の埼玉高速鉄道開業の半年前に実施されています。
現在でこそ東京メトロ南北線と一体運行されている印象の強い埼玉高速鉄道ですが、意外にも時系列としては目黒線との直通運転が先となっています。
更に、この直通運行で特徴的だった点として、9月22日から25日までの間は同区間を回送列車として運行させ、直通運転開始後の営業に備えるという体制が組まれた点です。
目黒線の上り列車として目黒駅に到着した列車は回送として三田駅または溜池山王駅へ回送、そこから再び営業列車となる……といった、車両は直通運転を開始したものの旅客が乗車出来ないという一風変わった習熟が実施されました。
4年も前倒しで開業した埼玉高速鉄道
直通運行開始の半年後に開業した埼玉高速鉄道は、南北線と同じ7号線計画で建設が進められた第三セクター鉄道線です。
当初は2006年度の開業に向けて工事が進められていましたが、2002年のワールドカップ開催が決定したため、埼玉スタジアムへのアクセスルートとして4年以上の大幅な工期短縮が実施されることとなりました。
当初の開業予定より大幅に早められたものの、目黒線直通と同時とはならず、2001年3月28日の開業となりました。
この埼玉高速鉄道の開業により、1990年代に東京・埼玉・神奈川で工事が進められた4社局のネットワークの原形が整いました。この前後にはJRでも湘南新宿ラインの開業から大幅増便なども実施され、東京から神奈川・埼玉といった縦方向の人の流れが劇的に変化した印象です。
現在では東武スカイツリーライン(伊勢崎線・日光線)、東武東上線でも見かける機会の多い東急電鉄の車両が最初に埼玉県に乗り入れた路線であることも印象的です。
増発・増強が続いた20年
ネットワークが完成した2000年代にも改良工事が進行し、2006年には不動前駅〜洗足駅間の地下化工事が完了。武蔵小山駅に待避設備が設けられたことで、目黒線内で急行運転も始まりました。
東横線の混雑緩和を目的に続けられていた目黒線の日吉駅延伸も2008年に実施され、現在の輸送体系の基本形が確立しています。これに関連して5080系が増備されています。
2009年には東京メトロ9000系にもモデルチェンジをした5次車が投入され、車両のバリエーションも増えてきました。
臨時列車では、並行する東横線とは直通開始から現在まで基本的に運行体系が分離しているものの、横浜高速鉄道みなとみらい線開業直後を中心に浦和美園・高島平からの直通臨時列車“みなとみらい号”なども運行されてファンを賑わせました。
基本的には利便性向上で利用者から歓迎されていた一方で、6両編成という輸送力の小ささから目黒線・三田線を中心に混雑面を指摘する声も多く出てきました。
次の大きな変化は新横浜線
20周年の節目を迎えたこのネットワークですが、2022年下半期に予定されている東急新横浜線・相鉄新横浜線の全線開業により、埼玉〜東京〜神奈川を結ぶ長大なネットワークに進化を遂げようとしています。
この準備として、この路線へ直通する各社局では車両の8両化や直通運転対応などの幅広い工事が進められています。
東急電鉄では、これまで東急新横浜線用の増備車となる3020系3編成が先行的に営業運転を開始し、運用に余裕を作ったうえで在来東急車の直通運転改造工事・8両化準備工事が進められています。
東京都交通局でも三田線6300形1次車・2次車と同数となる13編成を新型の6500形に置き換えることが発表されており、既に量産先行となる6501編成を使用した深夜・車庫内での試験が始まっています。2021年3月には東京メトロ新木場CRに姿をみせて話題となりました。
比較的目立つ動きがない東京メトロ・埼玉高速鉄道についても、8両化に向けた準備は発表済で駅などの設備に変化が出始めています。
特に東京メトロは9000系の中間増備車が30両発注されており、市ヶ谷延伸以降に製造された2次車以降の車両が15編成と車両数が合致します。
東急は在来車を活用した全編成8両化・都営は新車投入開始で置き換える分の8両化・東京メトロは既存車の一部を8両化・埼玉高速鉄道は乗り入れ車両のみ対応化……と各社局の思惑・対応はまちまちな印象も否めませんが、ネイビーブルーの相鉄20000系がこれらの路線に乗り入れてくる姿は今から楽しみです。
開業まで2年弱に迫っており、駅や車両の変化も大きな動きが続きそうです。開業後の動向も含め、しばらくファンにとっては目の離せない路線となりそうです。
未来の計画も続々
このほかにも、比較的新しく誕生したこの系統には、更に進化を遂げる計画があります。
特に、品川駅への地下鉄乗り入れ構想として白金高輪〜品川駅間の延伸案が近年話題となっています。
再開発やリニア中央新幹線始発駅として更なる注目を集める品川駅への直結、利便性や採算性の高さ、そして従来の白金高輪止まりを活用出来る輸送効率の高さなどメリットが非常に多く、都内では有楽町線豊洲〜住吉駅間の延伸とともに期待されている路線です。
また、以前より埼玉高速鉄道の浦和美園駅〜岩槻駅方面への延伸構想があります。
浦和美園駅から北上して京浜東北線と東武伊勢崎線の間の広大な鉄道空白地帯を埋めつつ、終端を接続駅とすることで既存路線の混雑緩和に期待されています。
南北線・埼玉高速鉄道線ともに比較的混雑が激しくない路線となっています。これらの既存区間の採算性向上・他路線の混雑緩和などの影響も考えると、この延伸計画にも期待したいところです。
昨今の社会情勢の影響で鉄道利用自体が落ち込んでいる一方で、都心部の通勤混雑はまだまだ改善の余地はありそうです。
民営化後大躍進を続けている東京メトロでさえホーム拡幅工事を先送りするなど厳しい状態ですが、より明るい未来が訪れることを願うばかりです。
関連記事はこちら
写真:写真AC
コメント
この系統での楽しみなことはもう一つありましてね。
メトロ車がモデルチェンジする際に名乗る形式称号。
09系?それとも19000系??
さてどうなることやら…
いっそのこと南北線は全て白金高輪折返しでもいいのでは?
そして将来的には品川に延伸するのが、運転形態としてシンプルイズベストと思う。
南北線から目黒線へは乗り換えが必要となるが、対面でありマイナスは最小限でしょう。