2005年の愛知万博開催に先駆けて運行を開始した愛知高速鉄道「リニモ」。
万博開催中の看板アクセス路線として国内外から注目を集めましたが、万博終了を追う形で1年間の短い使命を全うした編成が存在します。
特異な経緯をお伝えするとともに、短命に終わったはずの“09編成”の今に迫ります。
愛・地球博の輸送力増強として登場
名古屋市営地下鉄 東山線の終点・藤が丘駅と愛知環状鉄道八草駅の間の区間は、鉄道空白地帯となっており、以前から名古屋市営地下鉄東山線の延伸構想がありました。
この延伸構想を発展させる形で、勾配の多い線区という路線事情を加味したHSST=常電導吸引型磁気浮上式という新しい方式が採用され、東部丘陵線として2005年3月に開業した路線の愛称が「リニモ」となっています。
沿線に大学誘致をしていることから、大学等の休暇期間とその他で2種類の平日ダイヤがあることが特徴的な路線ですが、最大の特徴として万国博覧会のアクセス路線として開業した点が挙げられます。
新規開業路線ではあるものの、開業後半年以外は需要がそこまで見込めないことを加味し、先行量産車として実験線を走った“01編成”を含め、“08編成”までの8編成が愛知高速鉄道に納車されて現在まで活躍を続けています。
一方、独自のシステムゆえに車両の借り入れ・短期間での譲渡が困難というこの路線特有の事情から、万博期間中に急増する需要に応えるための車両として1編成がこの短期間のために製造されましたが、これが“09編成”と通称される第9編成です。
この“09編成”は自社所有とならず、日本万国博覧会協会が所有する車両となり、同会所有編成として側面に「EXPO 2005」と大きく描かれたラッピングをしたこと、トンネル走行中に側面窓にPR動画やマスコットキャラクター「モリゾー・キッコロ」が放映されたことなどで話題を集めた車両です。
大注目の後は苦難の日々
愛・地球博の象徴的な車両として多くの注目を集めましたが、その後の運命はかなり険しいものとなっています。
万博終了後も2006年春まで運行され、2006年4月1日付けで日本万国博覧会協会から伊藤忠商事に売却されています。
秋にイベント列車として2日間走行したものの、その後は自慢のラッピングを剥がされてしまい車庫の片隅で過ごす日々が続きます。
そして2007年に三菱重工業が三原製作所内にHSST方式の実験線建設を発表、この09編成は実験台として遠く広島県・三原市に搬出されることとなります。
名鉄が開発に携わり、日本車輌製造と愛知県に所以のある彼にとっては、片道切符の帰らぬ旅と思われました。
2011年には伊藤忠商事から三菱重工業に売却され、その後も実験線で余生を過ごす日々が続いていました。
突然の里帰りの理由は?
このまま三原に骨を埋める短命な車両になると誰もが思っていた09編成。
存在すら忘れ去られて久しい2019年10月9日。突如09編成が愛知高速交通の車両基地に陸送をされました。
同編成にとっては十数年もの時を経て、所有者も転々としながら、まさかの里帰りとなります。
車籍の有無や所有者の変更などは一切明らかにされておらず、前触れらしい動きもなかったため、経緯は推測するしかありません。
一番可能性が高いのは、リニモの利用者増による車両増車でしょう。
イオンモール長久手の開業で2016年に増発をしていること、沿線人口・利用定着・イベント開催などで年々混雑する日が増えていることなどを考えると、輸送力の小さいリニモでは増発が最も手取り早い解決策です。
一方で、以前から報じられているように収支状況についてはあまり芳しくなく、一点ものの車両を発注するには結構なコストが見込まれます。
以前運用していた09編成を呼び戻せば、他編成との取り扱い差異もほとんどなく、安価に済ませることが出来ますので、まだ解体されずに居た09編成に白羽の矢が立ったと考えるのが最も自然です。
実現すれば、日本万博博覧会協会→伊藤忠商事→三菱重工業→愛知高速鉄道と業種が違う各所を渡り歩くこととなります。
万博の為に生まれ、1年ちょっとの活躍で営業線から姿を消した不遇な編成。
十数年ぶりの里帰りで、風景が大きく様変わりした長久手地区を疾走する日はそう遠くないかもしれません。
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元画像ツイート
今回は貴重な光景を撮影された一宮の主@CL9typeS様(138Accord7000)より画像をお借りしました。
末筆で恐縮ですが、元のツイートを掲載させていただきます。
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