【碓氷峠越え】長野総合車両センターの189系N102編成が除籍・形式消滅

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新製配置から40年もの間、長野に籍を置き続けていた189系N102編成が除籍されていることが商業誌により明らかになりました。

碓氷峠の生き証人の歴史を遡りつつ、長生きした経緯を考えます。

最初の転機は長野新幹線開業

上野駅〜長野駅を結ぶ特急あさま号用として、183系の設計を基にEF63形電気機関車との協調運転を可能としたのが189系特急型電車です。

国鉄分割民営化後のJR東日本では、中央線向け183系同様、指定席車を中心にグレードアップ改造が施され他ほか、塗装も現在あさま色と親しまれているカラーリングに順次変更がされました。

そして、長野新幹線開業で代替となることが決まり、一部編成が国鉄色リバイバルをしつつ、惜しまれながら運転を終了しました。

引退後は廃車を出しつつも、当時のJR東日本が抱えていた165系・169系急行型を使用した波動用車を置き換えるため、一部の編成・車両が転出しました。

長野支社管内でも、長野から直江津へのアクセス用に普通列車妙高号を運転するほか、中央線の臨時特急充当などの多用途で使える6両編成として残されました。

のちに3編成体制となるものの、それ以降は大きな動きもなく長野地区を中心とした活躍が続きます。

N101編成〜N103編成と従来の編成番号を繰り上げつつ、あさま色を纏ったまま活用されています。

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クハ189-510モハ188-40モハ189-40モハ188-32モハ189-32クハ189-9

運命を分けたのはまたも新幹線

長野新幹線開業後は3編成がライナー・普通妙高号・臨時特急運用で活躍を続けていました。

しなの鉄道169系の引退後、かつての線区であるしなの鉄道を「しなのサンライズ号」「しなのサンセット号」としても走行したほか、中央東線の特急あずさ号・かいじ号臨時列車に頻繁に登板していました。

田町・高崎・大宮・幕張・豊田と各地に分散した189系の同僚たちとともに、繁忙期の風物詩となっていました。

更に、武蔵野線と中央線、貨物線を使った快速むさしの号・ホリデー快速むさしの号の115系代走として朝ラッシュ時間帯に関東平野を駆け抜けるというイレギュラーな運用実績もありました(所定115系豊田車N40編成→代走も原則は115系豊田・長野車→それも出来ない場合のみ実施)。

国鉄型特急車ならではの幅広い活躍が続き、波動用編成が減少してきた2010年代に入っても定期運用を持っていた長野車。

高崎から大宮総合車両センターに転入してきたOM103編成が大宮波動用車の185系化により長野総合車両センターに転入という嬉しい動きもありましたが、こちらは座席配置の違いから運用も別体化がされ、臨時特急運用専属といった活用でした。

関東に姿を見せる機会こそ徐々に減っていたものの、仲間も増えてしばらく安泰かと思われていました。

そんな彼らの余生を分けることとなったのはまたしても新幹線でした。

長野新幹線として先行開業した北陸新幹線が金沢駅まで延伸されることとなり、平行在来線だった信越本線が篠ノ井以東同様に第三セクターへ移管されることとなりました。

これにより、従来運行されていた普通妙高号の運転が終了となったため、定期運用を失うこととなります。

臨時列車扱いであったライナー列車こそ維持されたものの、3編成配置のうちN102編成のみが残されることとなりました。

この編成の幸運だったのは、北陸新幹線延伸直前に定期検査時期を迎えていたために選定されていることで、リバイバル塗装で人気だったN101編成・新幹線延伸直後が定期検査時期だったN103編成が廃車となるなか、この検査ではASAMAロゴ復活もあって突然脚光を浴びることとなります。

トドメを刺した後輩の置き換え

臨時あずさ号で活躍するN102編成。後継車のE2系やE351系より長生きとなりました。

以上のように、長野行新幹線開業・北陸新幹線金沢延伸に伴う三セク化と2度の転換期を幸運にも生き延びたN102編成。

臨時列車扱いながら平日にほぼ毎日運行されていたおはようライナー・ホームライナーでの塩尻駅〜長野駅間2往復を中心に、土休日には団体臨時列車やイベント列車、特急登板。

豊田車両センターに配置されていた同僚たちがホリデー快速富士山号・山梨富士号といった土休日の仕事ばかりだったことを考えると、晩年までかなりの稼働頻度でした。

そして、繁忙期には特急あずさ号・かいじ号の臨時便担当の仕事が引き続き行われ、豊田の同僚が故障した際にはホリデー快速代走で河口湖駅まで駆けつけた実績もあります。

そんな189系たちでしたが、同僚を中央線定期運用から追い出したはずのE351系・E257系の置き換えが始まります。

当初報道通り東海道線への転用工事が進むこととなりましたが、余剰編成が臨時便を担当出来るようになったこと、房総方面の500番台がホリデー快速で使用されるようになったこと。そして追い討ちをかけたのが、あずさ号・かいじ号の「分かりやすい座席サービス」の名の下で進められていた新料金体系への変化です。

この2019年3月改正により、189系は特急運用に就くことがなくなりました。

この副業がなくなってしまった以上、189系を維持してまでライナー列車を走らせることも……ということで、適任となる置き換え車もなかったためか、211系快速列車へ代替となりました。

長野支社管内とかつての活躍線区・しなの鉄道でのラストランイベントを終えた後も長野総合車両センターでひっそりと過ごしていましたが、今回の除籍により183系・189系という直流型特急列車の一大形式が形式消滅となりました。

これにより国鉄特急の顔である電気釜スタイルも、伯備線特急・やくも号が最後の砦となります。

同形式車・類似形式車の保存事例こそたくさんありますが、直接的な代替車だったE2系0番台・E351系より長生きしてしまったN102編成。

現場・利用者・ファンの愛着も格別のものがありましたので、何らかの形で余生を見られることを願うばかりですね。

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