【阪急3000系形式消滅】最後の生き残り!3054×4Rが回送で正雀工場へ

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阪急電鉄3000系最後の生き残りとして去就が注目されていた3054×4R(3054F)。

3ヶ月近い眠りを経て、本日所属基地の西宮車庫から正雀工場へ臨時回送されています。

既に引退が報じられていまるように、今回の正雀入場回送が廃車回送とみて差し支えない状勢です。半世紀以上もの長きに渡り活躍を続けていた3000系ですが、その歴史に終止符が打たれることとなります。

阪急3000系の登場から現在

阪急3000系は1964年から1969年にかけて製造された阪急の通勤型車両で、神戸線の架線電圧昇圧(現在の1500Vへ変更)を背景に複電圧対応車両として開発・製造された車両です。

1967年に神戸線が昇圧されたほか、1969年には宝塚線も昇圧することとなっていたため、宝塚線向けの兄弟車・3100系も並行製造されています。

1968年からは昇圧完了後の専用形式として5000系の製造に以降されたものの、中間付随車1両(3561)が1969年に増備されました。

1975年から冷房化改造と合わせて走行機器類の簡素化(不要となった複電圧対応の制御装置の交換)がされたほか、先頭車の運転台撤去と中間車化改造も一部に施工されました。

1981年には種別・行先表示器の設置改造が始まり、先頭車については前照灯などのレイアウトが現在のものに変更されて雰囲気が大きく変わりました。未施工のままの車両もありましたが、後年に早期置き換え対象となっています。

昇圧以来8両編成での運用により第一線での活躍が続けられていましたが、1988年より支線転用が開始。ここから両形式間の組み替え・短編成化・転属が時折実施されました。

2007年以降に9000系投入による本格的な置き換えの動きが始まり、今回の3054編成については2013年に中間に入っていた先頭車を含めた4両を除籍した上で4両化・伊丹線に転用されていました。

方向幕未装備車両が全廃されて置き換えの動きはひと段落したものの、2016年以降に1000系投入による残存車両の置き換えが再開。2019年4月に3062×4Rが廃車されて以降、1形式1編成の状態での活躍となっていました。

兄弟車である3100系が能勢電鉄に譲渡されていますが、こちらは外観が大きく異なります。3000系自体の譲渡は叶いませんでした。

なお、京都線の弟分・3300系についても1300系投入進展により一部廃車が行われているものの、こちらはリニューアル車が8両編成にて大阪メトロ堺筋線への直通運転などで、それ以外の7両編成も準急以下の種別で現在も第一線にて活躍しています。

こちらは世代としては5000系に近い車両ですが、5000系にも編成単位の廃車が発生しているように、リニューアル未施工編成を中心に廃車の動きが継続しそうです。

イベントなく3ヶ月の休車

以前から阪急電鉄のファンに去就が注目されていた3054編成。

2月上旬に運用を離脱して以降、西宮車庫内での留置が続いていました。

定期検査を受けてから2年と少しという状態でしたので、一時的な運用離脱か、廃車を前にした動きなのかファンの間での推測も飛び交いましたが、残念ながら後者となりました。

ゴールデンウィークが終わった5月7日、所属基地である西宮車庫から阪急神戸線・京都線を経由して定期検査などでお馴染みの正雀工場まで回送されています。

阪急で引退する車両は譲渡車両を除き、正雀工場から陸送(トレーラーでの輸送)で解体工場まで搬出されるのが一般的です。

検査期限にまだ余裕があったことを考えると、今回の回送を以って阪急電鉄から3000系が姿を消すこととなるでしょう。

兄弟車の3100系は編成単位では最後となった3150編成にヘッドマーク掲出があったことなどを踏まえると、もしかしたら何らかのイベントを検討していたのかもしれませんが、昨今の情勢を考えると不可能でしょうか。

現在の神戸線の輸送力増強に大きく貢献した、元複電圧対応車。ひっそりとした最後となりました。

今後は5000系・3300系などの置き換えが続けられることとなりそうですので、彼らの今後にも注目していきたいところです。

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今回のお写真は、フォロワーの情弱さま(@zyojyaku)から許可をいただいて掲載しています。

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