【メルヘン顔】武蔵野線205系置き換え進展で生え抜き編成が消滅に

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「メルヘン顔」の愛称でファンからの人気も熱かった、武蔵野線向けに新製配置された205系の生え抜き編成。

全編成が運用離脱となり、本日、最後のジャカルタへの譲渡のため新津まで配給輸送されています。

武蔵野線には5編成が投入

205系のメルヘン顔は1991年度増備車として投入されており、武蔵野線の通勤・行楽輸送に大きく貢献した編成です。

前年度に京葉線向けに登場した前面デザイン変更を継承・東京ディズニーリゾートへの直通列車という路線事情から「メルヘン顔」の愛称があります。

205系としては編成単位での最終増備となっており、M65編成はクハ・モハのラストナンバーとなっています(付随中間車は連結なし・横浜線の6扉サハ)。

ドアエンジンの変更により従来の205系に比べて静かな音となっているのもこの区分の特徴です。

武蔵野線の開業以来101系・103系・201系が運用実績がありましたが、1980年(昭和55年)に103系の武蔵野線輸送力増強用の新製配置車両が6両1編成だけ配置されたものの、1986年(昭和61年)以降は青梅線系統と共通運用となっています。 ※6年弱の専属運用が確認できたので10/10に加筆訂正

よって、本形式が武蔵野線専用車として唯一の専用設計です。

京葉線編成との違いとして前面FRP部分が銀色とされている点があるほか、後年に京葉線編成には排障器=スカートが設置されたものの、武蔵野線編成は排障器設置はされずにオリジナルの外観を保ってきました。

2005年まで103系と共通運用で「当たり」の車両でしたが、その後は山手線などからの大転用劇により205系で形式統一がされていました。

この転用ではM61~M65のメルヘン顔5編成のうち、M61編成がVVVFインバータ制御に更新され、電動車を捻出・代わりに元山手線の付随車を組み込んでM35編成と改められました。

その後、京葉線にE233系が増備されて余剰となった209系500番台が輸送力増強に加わったほか、現在では山手線E235系投入によるE231系500番台の中央・総武緩行線転用により捻出された、209系500番台・E231系0番台により置き換えが進められています。

205系の山手線転入組が増えてからは目立つ機会こそ少なくなっていたものの、かわいらしいデザインで登場以来ファンも多い車両でした。

メルヘンの引退で意外なこと

少数派ながら一度も転用されることなく(車両の所属が豊田→京葉に移動したため転属自体は経験)、武蔵野線の顔として28年近く走り続けた少数派の5編成。

引退後の次の舞台はインドネシアの首都・ジャカルタとなり、関東各路線で活躍していた205系や大手私鉄とともに活躍します。

既に一部の編成が現地で運用入りされており、運転台内部の機器配置が少し異なるところですが、あえて12両編成の両端になるように組成されており現地でも愛される存在となっているようです。

JR東日本が設置してきた205系の排障器=スカートを模したものを現地で製造して取り付けるなど、新たな姿で今後も期待の存在です。

そして、今回の運用離脱により2つの100%が達成されています。

1つ目はJR東日本の電車から排障器非設置の形式が淘汰・設置率100%となりました。

武蔵野線は踏切を走行しないことから設置が見送られていたものと思われますが、その後登場する各型式では踏切の有無を問わず設置されています。

また、京葉線運用の編成は直通運転先で踏切があるために設置されたこともあり、本区分の特徴となっていますね。

2つ目は武蔵野線の中古車比率が100%となったことです。

開業当初から中古車比率が高い武蔵野線。

各地で活躍していた205系は東京メガループとしてのテコ入れの一環として横浜線・南武線・京葉線がE233系の新製配置となったなか、武蔵野線だけがE231系などの転用とされています。

現時点で唯一の「武蔵野線専用設計車」が除籍されたことにより、ちょっと不遇な100%達成となりますね。

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動画資料集

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コメント

  1. 赤羽線ユーザー より:

    武蔵野線の新製配置は103系が最初です。

    1980(昭和55)年10月改正で増発用として新製配置された6両が武蔵野線にとっての初の新車であって205系が初の新製配置車ではありません。

    なお、この6両のうち4両は205系に置き換えられた後にインドネシアに渡っています。

    • ときぱて より:

      赤羽線ユーザーさま

      閲覧・コメントありがとうございます。
      夜分の返信で申し訳ございません。

      昭和54年度第二次債務で発注された103系6両1編成について、1986年までは独立運用で武蔵野線専用として活躍した旨、確認が取れましたので加筆訂正させていただきます。
      1986年に転入車とともに青梅線系統と共通運用になった時系列も確認できました。
      ご指摘ありがとうございます。