【保存叶わず】尾久のブルートレイン5両が解体開始!? 24系“出雲”オロネ25 7が搬出

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ブルートレインの一大車両基地だった尾久車両センターでは、出雲号・北斗星号で引退した24系客車のうち5両が廃車されずに残されていました。

このうち、寝台特急出雲号で活躍していたオロネ25 7が現地解体となり、鉄屑となって搬出される姿が目撃されています。

かつてのブルトレ車両基地!尾久車両センター

写真:尾久の看板車両だった北斗星号

尾久車両センターは、東北本線の尾久駅に隣接して設置されている広大な車両基地です。

歴史は非常に古く、大正時代に設けられた貝塚操車場をルーツとしており、隣接している田端操車場や田端操車場とともに、北の玄関口・上野から東北・上越を結ぶネットワークの一大拠点として大繁栄をしました。

尾久客車区としての歴史が非常に長く、現在のE26系「カシオペア」のほか、「北斗星」の東日本編成などで活躍した24系客車、金沢行きの「北陸」で活躍した14系寝台車、ジョイフルトレイン「ゆとり」「スーパーエクスプレスレインボー」などの14系座席車、ジョイフルトレイン「江戸」「なごやか」などの12系客、更に事業用のマヤ34形・マニ50形と幅広い客車が配置されていました。

尾久車両センターの客車郡は東北・上越方面での活躍に留まらず、東京口のブルートレインのJR東日本所有客車も品川の客車無配置化により多く受け持っていました。

このため、尾久〜東大宮操車場〜品川で、通称「オクシナ」「シナオク」と呼ばれる機関車・客車の入れ替えを行う列車が運行されていました。

定期的な運行となっており、検査のための入れ替えだけでなく団体臨時列車で使用される車両が混結されるなど、様々な機関車・客車の組み合わせで都心部のファンを楽しませてくれる列車となっていました。

“ブルートレイン”を支えてきた名門車両基地と言って差し支えないでしょう。

このほか、客車以外の配置歴もあり、現在はE001系「TRAIN SUITE 四季島」・E655系「和(なごみ)」といった特殊な機構を持つ電車、バラスト(線路の砕石)輸送用のホキ800形貨車などが配置されています。

ここから上野駅までの客車回送は、“推進回送”と呼ばれる特殊な運転方式が長年に渡り実施されていました。最後尾の機関車により客車編成を推進する方式で、機回しが不可能な上野駅の頭端式ホームゆえの措置でした。

安全上の理由から速度制限があるものの、戦前から尾久〜上野間は複々線化されており、現代まで続けられています。

東京口ではプッシュプル方式(両端に機関車を連結)・機回し(機関車を逆側に付け替え)が実施されていたこととは対照的ですが、上野口・東京口ともに晩年までそれぞれの運転方式が維持されました。

「北の玄関口」の変化と客車の減少

写真:「オクシナ」で回送されるジョイフルトレイン「ゆとり」

栄華を極めた尾久客車区〜尾久車両センターですが、長年に渡り機関車牽引列車自体の削減が実施され、年々配置される客車数は減少しています。

東京から出雲を結ぶ寝台特急「出雲」は現在も新幹線に対抗できる系統として知られていますが、1998年に「サンライズ出雲」が運行開始をして以降も2006年まで客車の「出雲」が維持されており、この使用車両はJR東日本編成とされていました。この出雲号は最後の24系の純正食堂車「オシ24形」が連結されていました点が特徴的でした。

2010年3月には上野と金沢を結んでいた寝台特急「北陸」が急行「能登」とともに引退。

全盛期には3往復運行されていた札幌行きの寝台特急「北斗星」も、2007年に臨時便「エルム」運転終了・2008年の「夢空間」運転終了と1往復化。そして2015年には北海道新幹線の走行試験や老朽化で運転終了となり、尾久車両センターは定期の長距離列車を支えるという重大な使命を終えることとなりました。

座席・お座敷車も団体臨時列車の電車化の進展で徐々に数を減らし、1997年に「なごやか」、2000年に「スーパーエクスプレスレインボー」「江戸」、そして2008年には「ゆとり」が引退しています。

尾久車両センターで保管されていた客車群

写真;過剰気味な配置を生かして乗務員訓練に供される尾久の24系

機関車牽引列車の一大拠点となっていた尾久車両センターですが、引退後の車両の一部を解体せずに保管している事例が多く見られました

24系の事例では、「北斗星」が1往復化されてから完全に廃止されるまで、特殊構造の個室車・ロビーカーといった本来の運用に使用されない車両が複数配置されていました。

機関車牽引列車の乗務員養成のため、現在はE26系や予備電源車のカヤ27 501を使用して時折運行されている「黒磯訓練」で主に使用されていましたが、輸送障害時には東日本編成の予備車とこれらの車両の寄せ集めでイレギュラーな「北斗星」を仕立てた経歴もありました。

2015年3月の定期運行終了から8月の臨時運行終了まではJR東日本車両のみで運行されることとなり、この間はロビーカーのオハ25 503が運用に返り咲いた点も特徴的でした。

このほかにも、新型総合検測車キヤE193系「East i-D」E495系「East i-E」の投入で使命を終えたマヤ34形、2008年の「ゆとり」引退後にも両端の展望車、「出雲」で使用されていた車両のうち、純正A個室車だったオロネ25 7と純正食堂車だったオシ24 701の2両が保管されていました。

写真:しばらく保管されていたマヤ34形

2015年の寝台特急「北斗星」の運行終了と前後して、尾久車両センターの“コレクション”にもメスが入りました。

2015年には「ゆとり」のスロフ14 701,702が長野へ配給輸送されて解体されたほか、マヤ34 2004については走行も難しかったのか現地解体。

最終的に現在まで保管されていたのは、先述の「出雲」の2両と、「北斗星」のうち臨時最終日にも使用された食堂車スシ24 506・A個室ロイヤルとB個室ソロの合造車オロハネ25 501・開放B寝台車オハネフ25 14の3両の合計5両でした。

今回、この5両のうち、オロネ25 7が解体搬出。続いて記事公開日現在はオロハネ25 501が建屋内に収容されています。この解体の動きがどこまで続くのか、大きな注目を集めています。

尾久車両センターには大量の車両配置が進行中

写真:今回動向が注目される24系とキヤE195系

年々車両数が減少していた尾久車両センターでしたが、2020年度に大量の新製車両が配置されています。

これは、従来は機関車と貨車で運行されていた工事用臨時列車(線路のレールやバラストの保守のために運行される列車)などについて、専用の新型事業用車両の導入が相次いでいることに起因します。

レール輸送用のキヤE195系110両のうち、関東甲信越エリアで使用する分は尾久車両センター所属とされています。

また、最近登場した車両牽引用の事業用電車、E493系の先行量産車についても、尾久車両センター配置とされています。

最終的な布陣は両形式が増備途上であるために断言出来ませんが、かなりの特殊車両が同センターに配置されることとなります。

既に大量の黄色い車両が並ぶ光景がネット上で度々話題となっているように、配置車両数の増加で「使わない」車両の解体とされてしまった可能性が高いのではないでしょうか。

営業車両の増加で保存車が解体された事例は、近年だと小田急電鉄の大量解体がありました。

尾久車両センターでは2015年にも一部車両が淘汰されましたが、この年も上野東京ライン運転開始・田町車両センター廃止で都心部の車両基地再編が大規模に実施された年でした。

ただ、これだけ特殊車両が相次いで配置されるのは、尾久車両センターが培ってきた高い技術力あってこそでしょう。

もし24系が全車解体となっても、専門だった客車が無配置化されてもーーこれからも他センターでは扱わない変わり種の車両を、自慢の高品質なメンテナンスでJR東日本各地に送り出すという大きな使命は続きそうです。

写真:牽引用として登場したE497系事業用車

難しい“廃形式”問題

さて、ここからは余談となりますが、鉄道車両の動態保存において、車籍が残っているか否かが注目されがちです。

近年の大規模な動態保存といえば東武鉄道の「SL大樹」プロジェクトが挙げられます。

ここで運行されている機関車はC11形。客車は14系座席車、車掌車ヨ8000形。いずれも国鉄からJRに継承された車両で、東武鉄道の歴史とは縁が薄い車両でした。

これらの車両はいずれもJRで車籍が残っていた形式です。四国の12系・14系も除籍こそされていましたが、廃形式ではなかったこともあってか“復活”が叶いました。

一方で、このプロジェクトではヨ5000形ヨ13875も入線していますが、こちらは現在まで復活の気配はありません。

ファンからの推測として挙げられるのは、一度廃形式となった車両が再び国土交通省から認可を受けることが極めて困難なのではないかという点があります。

一度途絶えた形式を復活させる際に、新型車両同様に現代水準の安全基準が求められていることが障壁となっているのではないか?という説です。

かつて中小私鉄が車籍の使い回しに近い状態となっていたり、現代でも明らかに別形式なのに同一形式としたりする会社が多いことからも、新形式の法定手続きの煩雑さは容易に想像がつきます。

尾久車両センター関連では、E001系がE655系の「車両構造装置変更」の手続きとされていることも話題となりました。

JR東日本だけでなく、もし今後どこかの会社で「ブルートレイン」を走らせる場合、24系が一旦廃形式となることを避けるため、既に使用出来ない状態ながら車籍を残していたのではないか?という推測も出来ます。今回の24系は電源車がないために営業運転は不可能な一方で、静態保存目的であれば車籍を残しておく必要がありません。

このほか、固定資産税の絡みを指摘する声もありますが、この関係はむしろ車籍がない静態保存車両が解体される背景として考えることが出来そうです。固定資産税だけの問題であれば、1月1日基準で申告しなければならないため、昨年末のうちに解体することとなっていたでしょう。

いずれにせよ、近年相次いで静態保存車両が解体されているのも、動態復元が実施されないのも、状態の悪化や盗難対策よりは、こういった“大人の事情”がありそうです。

鉄道車両保存の難しさは名車の解体の度に痛感させられますが、昨今話題の「高輪築堤」などを契機に、官民一体となって貴重な遺産を保存しやすい環境が整うことを願うばかりです。

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