【200系あさま号!?】長野新幹線だったころの意外な車両繰り3選

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写真:はまなす様(@hamanasu202)

長野駅~金沢駅開業により北陸地方に多くの経済効果をもたらした北陸新幹線。

大きな経済効果をもたらしたのは高崎~長野駅間の開業の際も同様でした。

今回はE2系が主力だったころの長野新幹線にまつわる意外な車両繰りにまつわるエピソードを3つ紹介します。

E4系「Maxあさま号」を運転するも……

二階建て新幹線Maxの第二世代として開発されたE4系のうち、一部編成が長野新幹線乗り入れに対応しているのはご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

P51,52編成が軽井沢駅乗り入れに、P81,82編成は当時の終点長野駅まで乗り入れを出来る設計で登場しました。

4編成とも急勾配を登るための性能に調整されていたほか、P81,82編成についてはE2系同様に60Hz交流電化区間での走行に対応しているという違いがあります。

ただし、長野駅への入線対応については主要機器類はそのままの設計であったため、営業運転での使用実績はありません。

当時のE2系と同じ8両編成ながら、E2系10両編成と互角の定員数というMaxの収容力を生かして繁忙期に積極的に……とはならず、短命に終わってしまいました。

大きな要因として、かつて碓氷峠でEF63形が活躍していた急勾配を旅客を乗せた状態で登坂できる性能と言えず、下りは回送・上りの軽井沢駅始発の臨時列車にのみ充てられました。

さらに、整備新幹線の規格260km/hに対して240km/hしか出せないE4系は足を引っ張る存在です(E2系は東北新幹線での275km/hまで対応)。

つまり、「上り列車かつ軽井沢始発の列車にしか使えない鈍足の車両」となっており、運用上の制約があまりにも大きかったのです。

東北新幹線向けの先行試作編成だったS7→J1編成が八戸駅延伸時の増結から溢れて長野新幹線N21編成として転属することから、E2系で所要数に追いついたという背景もありました。

これらの事情が重なって、E4系は2001年(平成13年)夏に臨時列車運転を始めたものの、2003年(平成15年)の夏をもって引退という非常に短命なものとなってしまいました。

E4系も現在廃車が進んでいますので、対応編成の引退前のさよなら運転などで復活に期待したいですね。

200系にも超短命な乗り入れ対応編成が存在

E4系については、現在でも編成番号の違いがあるので当時を覚えている方もいらっしゃるかと思いますが、ひっそりと200系でもあさま号が運転されていたことはご存知ない方が多いでしょう。

これは1998年(平成10年)に開催された長野冬季オリンピックの臨時輸送のために200系12両のF16編成がF80編成として改造されて運用されたものです。

改造メニューについては60Hz交流電化区間への対応や発電ブレーキ大容量化、そして登坂能力向上の対応のためにモーター改装と大がかりなものとなったほか、搭載機器が重くなったという理由で先頭の1,12号車だけE2系同様の座席に改装した点が特徴的でした。

この年の2月7日~22日の間、2~3往復が毎日運行されました。

12両編成での運行もこの列車以降はE7系登場まで実施されていなかったほか、ホーム有効長の関係から高崎駅以降は軽井沢駅と長野駅しか停車できなかったこと、E4系と異なり往復運転・長野駅発着となったこと、この1か月以降使用されずに周波数の切り替え装置も早々に撤去してしまったことなど、特異な点が多く挙げられる列車でした。

この運用以降は上越新幹線で引き続き運用されたのちに廃車となりました。

なお、オリンピック開催決定までは軽井沢駅以西をミニ新幹線で建設する計画でしたので、長野オリンピックの存在は長野県の今の発展には欠かせない、とても大きなものでした。

余談ですが、このほかにも長野電鉄の配線改良や信越本線への新駅設置などが行われており、2020年(令和2年)の東京オリンピック・パラリンピックが鉄道新線等の動きがないことと対照的ですね。

あさひ号→とき号とたにがわ号にもE2系を充当

長野の「N」を編成名に掲げ、一貫して長野対東京の輸送に従事していた印象のE2系N編成。

長野新幹線に他形式が応援に駆けつけていた一方で、長野新幹線用のE2系N編成についても他線区運用の実績を持っています。

これは、東北新幹線用のJ編成とともに上越新幹線で200系F90-93編成が実施していた275km/h運転列車を置き換える形で「あさひ号」での運転を少しだけ担っていました

E2系は200系の275km/h対応車両とは異なり、加減速性能・カーブ通過性能に優れていていたため、200系275km/h運転よりも所要時間が少し短いことが強みでした。

その後もJ編成とともに運行本数を増やしていったものの、東北新幹線が八戸駅延伸となった2003年(平成15年)12月ダイヤ改正でN編成は撤退となりました。

翌2004年(平成16年)にはJ編成も撤退してしまい、9年間の200系・E4系の鈍足新幹線時代が続くこととなりました。

現在では上越新幹線の速度向上のプレスリリースも出ていますので、今後の速達化に注目が集まります。

今後は珍しい形式が走る可能性は低い?

JR東日本では、形式統一による運用効率向上を目指しており、1列車あたりの輸送力が落ちることを織り込んだ上でE5系を東北新幹線に、E7系を上越新幹線に製造を進めています。

E5系が新潟に来た実績などがあう一方で、周波数の違いがある関係から高崎以西の北陸新幹線区間を走行する他形式車両は、検測車であるE926形・East-iのみという現状は当分の間変わることはなさそうです。

北陸新幹線では現在、金沢駅~敦賀駅間の延伸工事が進められているものの、今後も上越新幹線にE7系が増備されていくなかで、わざわざW7系とは異なる新形式車両を新たに開発するとも考えにくいです

形式統一は鉄道趣味的には面白みに欠けるところですが、上越・北陸新幹線の速度向上もE7系投入のおかげです。

形式統一の効率の良さは東海道新幹線という先駆者もいますので妥当なところでしょうか。

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サムネイル画像は、はまなす様(@hamanasu202)より、長野オリンピックの際のあさま号F80編成の画像をリサイズの上でお借りしております。

末筆ながら御礼申し上げます。

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