【201系】登場から40年!数を減らしつつも新形態登場〜今昔

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JR西日本では103系がまだまだ残存していますが、201系についても数を減らしつつも形式としては試作車デビューから40年もの月日が経過しました。

デビューからの歴史を振り返りつつ、意外なところで活躍した201系の魅力に迫ります。

最初の登場は中央快速線

201系は未だに同一形式の数としては日本一を誇る103系の後継形式として1979年(昭和54年)に試作車が登場しました。

200番台の形式区分を使用したことも話題となりましたが、抵抗制御だった103系に代わる方式として国鉄では初めての電機子チョッパ制御・電力回生ブレーキの採用が大きな注目点でした。

試作車では先頭電動車=クモハを含む5両2編成が登場しましたが、量産車では6両編成・4両編成・10両固定編成となったため、この試作車も電装解除・組み替えで対応しています。

関西に投入された201系は、従来車同様の7両編成を国鉄他形式と同じ組成で組んで投入されました。

デメリットが響いて後継形式がすぐに開発される

上記のように魅力的な201系ですが、その電機子チョッパ制御装置の製造コストが従来方式より割高だったため、地下鉄用の同等形式の203系が登場するも、1985年には直接的な後継形式205系が割安な界磁添加励磁制御にて登場。

このため、投入線区も中央快速線・中央緩行線・京阪神緩行線の合計1018両の投入と、103系や205系に比べると少なく感じます。

しかし、この数字自体はJR東日本の209系の製造総数に近い数字ですので、決して失敗作ではなく一定の勢力となりました。

体感として少なく感じるのは、投入路線が少なかったことが要因でしょうか。

その後、中央・総武緩行線向けの201系はその後青梅線系統と京葉線へ、京阪神緩行線向けの201系は大阪環状線と奈良地区へそれぞれ転用され、103系の置き換えをしています。

意外なエピソード・関東編

登場時には武蔵野線で活躍!?

製造当初にごく短期間の間、武蔵野線で201系6両編成が運行された実績があります。

6両編成が混在していたほか、武蔵野線の受け持ちが現在の京葉ではなく、当時は豊田であったこと、東京延伸で急激に運用数が増加したための一時的な措置だったようで、ごく短期間で終了しています。

その後は武蔵野線を走る機会少なくなったものの、京葉線に配置されたり、900番台の廃車回送では武蔵野線を経由して大宮へ向かう、四季彩を使用したホリデー快速など、少なからず縁が残りました。

電動方向幕は後付け改造

中央快速線用の201系といえば、電動の種別表示器がアイデンティティというイメージが強いですね。

こちらは登場時から設置していたものではなく、101系・103系同様にヘッドマーク方式の種別表示板を使用→使用中止→差し込み式の種別表示板設置→両端の電動化という複雑な変化の末に完成したものです。

分割編成では差し込み式の種別表示枠が残置されたほか、クハ200-87は中間先頭車ながら電動化がされた異端児として引退まで密かな人気を集めていました。

引退前に少し話題となった誤幕

引退前にはT109編成を名乗っていた中央快速線の元H10編成ですが、この編成に小さな間違いがありました。

先頭の行き先表示幕にも種別が入る201系ですが、中央特快東京行きの行き先表示幕がこの編成に限って「中央快速 東京」となっていました

発注時に間違えてしまったものかと思われますが、巨大な種別表示器と側面が正常なこと、運行本数自体がそこまで多くないこと、文字色は特快色の紫であること、そもそも上りの通勤快速は設定実績がないことから差し支えがないと判断されていたのか、廃車が始まるまでそのままとなっていました。

廃車が進行していた途上で廃車発生品から交換されて収束しましたが、中央線ファンには平日朝に密かな人気を誇る編成でした。

諏訪の花火臨での貸し出し実績

現在はE233系青梅線用と南武線用の6両2編成で運行される、諏訪地区花火大会への貸し出し運用。

こちらは201系でも実施されており豊田車両センターから分割編成を2本貸し出し・6両と4両に分割して運行されていました

最後の2007年には、廃車回送ついでに松本地区に片送りとなった変則運用もされました。

今年も2本のE233系が彩りを添えていますが、201系時代と比べると貸し出し両数が減少していますね。

201系唯一のジョイフルトレイン?「四季彩」

訓練車として余剰編成だった4両編成を改造することで、青梅線・五日市線のジョイフルトレインとして登場したのが201系四季彩です。

片側の窓の1枚固定窓化が行われて景色を楽しめるようにした車両で、土休日の青梅・五日市線のほか、大宮駅発着・武蔵野線経由で快速むさしの奥多摩号が運行されました。

京葉線に短期間存在した10両貫通の201系

京葉線は開業時点では新造されたいわゆる「メルヘン顔」の205系と、各地から集められた103系によって運行されていました。

中央緩行線の置き換えにて201系が青梅線・五日市線に転用されたほか、京葉線にもやってきています。

京葉線では103系同様の分割運用を担当する4編成と、試作車を含む自動解決装置設置をしなかった3編成に分けられ、試作車は中間に埋め込まれたものの全編成が6+4両の組成となっていました。

このまま大きな動きの計画がなかったものの、埼京線で踏切事故が発生し、205系が大きな損傷を受けています。

また、武蔵野線での増発の必要が出てきたことから、6M2Tの8両編成を捻出する必要が発生しました。

この2編成の205系を捻出するため、201系が2007年に2編成転入。京葉線では初のシングルアームパンタグラフ装備・10両貫通編成で異彩を放っていました。

この2編成は、205系110km/h非対応車=この転用で捻出した205系を置き換える計画で転入する計画だった209系500番台によって2008年にあっさり廃車となってしまいました。

意外なエピソード・関西編

阪神淡路大震災で12両編成が登場

1995年(平成7年)に発生した阪神・淡路大震災では関西に甚大な影響を与えました。

関西地区の鉄道事業者でも多くの変更が行われましたが、201系では7両編成8本を6両・8両編成各4本に組み替えた上で8両編成・12両編成として運行されました。

これは、山陽新幹線や並行私鉄が不通であったことから輸送力の大幅な増強を迫られたためであり、201系としての12両編成の実績はこれが唯一です。

2ヶ月弱の珍編成ですが、西日本の復興の使命を担った201系の勇姿は沿線利用者・地元ファンの大きな希望となったことでしょう。

転配途上で発生した珍編成

103系同様に戸袋窓廃止などの徹底的な体質改善工事が行われた201系。

321系投入によって201系の転用が計画されましたが、大阪環状線と奈良地区への転用という当初計画こそは変わらなかったものの、組成と編成数は途中で変更されています。

転用開始第一号の編成が京阪神緩行線時代のスカイブルーで異彩を放っていたほか、大阪環状線の置き換えを優先する当初計画ではオレンジバーミリオンの6両編成や4+4両の8両編成が走行していたものの、最終的には7両編成32編成を奈良電車区6両・森ノ宮電車区8両16編成ずつに組み替えるシンプルなものに落ち着きました。

スカイブルーの大阪環状線や珍しい組成の201系は過渡期に大きな注目を集めました。

まだまだ残存する201系・形態にさらなる変化

大阪環状線からは撤退した201系ですが、奈良地区では引き続き活躍しています。

おおさか東線の全線開業で編成数を増やしているほか、最近ではND614編成が床下塗装をグレーに変更して話題となりました。

直接的な置き換え車登場の話題もないので、同地区に少数残る103系と共にもうしばらく活躍が見られそうです。

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