【革命児】京浜東北線209系引退から早10年!山手線E231系と共に活躍

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偶然か、狙ったかーー

山手線からE231系500番台の置き換えが完了した2020年1月24日は、京浜東北線で209系が営業運転を終えてからちょうど10年となります。

鉄道車両の概念を変えた、先進的な通勤電車の生い立ちを振り返ります。

試作車901系として開発がスタート・自社製造の先駆けも

209系の始まりは、試作車901系でした。

A〜C編成の3編成30両が製造され、各社の様々な工法・機器類が試験されました。

209系量産車とは異なる点も多く、6扉車がない、号車番号が旧来の号車札を採用、ドアチャイムや車椅子スペースの有無などの利用者でも気付ける差異があったほか、走行音も異なるものがあるなど、細部の違いは数えきれないほど存在しました。

量産化改造として209系900・910・920番台に改番されましたが、廃車となるまでその違いは色濃く残されていました。

現在では、JR東日本では新津車両製作所で自社製造をしているだけでなく、東急車輌製造を東急電鉄から事業譲渡される形で総合車両製作所が設立されています。

これらの先駆けとなったのは、JR東日本の発足以来取り組まれてきた、急行型電車の部品流用の107系の新造などが始まりですが、209系920番台・209系量産車の一部に自社製造車両が存在します。

209系の自社製造のスタートは、現在は消滅してしまった大船工場で行われており、試作車を含めて14両実施されています。

1994年の新津車両製作所開設以降は、こちらでの製造に移行しています。

209系では、コストダウンの一環で各社が得意とする製法を採用するという面白い試みもされました。

特に川崎重工業が製造した“2シート工法”の車両の外観が異なることが有名です。

E231系・E233系、京急1000形などの後輩形式にも踏襲され、同一形式で外観が少し異なる……という差異は現役各形式でも多く見られますが、同じ形式で違う車体を認めるという発想は画期的なものでした。

試作から量産まで幅広いバリエーションを生みましたが、最終的に京浜東北線には試作車3編成・量産車78編成の209系0番台が配置されました。

このほか、0番台が6両2編成南武線に配置されたほか、半自動ドア装備を付けた3000番台、車体をE217系同様の拡幅車体とした500番台、E231系試作車として950番台と様々なバリエーションが生まれ、そのうち500番台は京浜東北線で最大5編成活躍しています。

鉄道車両新時代!“新系列電車”

209系の凄さは製造過程だけではなく、その後の車両保守の概念を覆した点も特徴的です。

209系以降に開発された車両たちについて、JR東日本では“新系列電車”として区分されています。

彼らは保守性の向上により、定期検査期間を長めに改められ、鉄道事業者各社で実施されてきた交番検査・重要部検査・全般検査を、“指定保全”・“機能保全”・“装置保全”・“車体保全”と分けた新しい検査体制に移行しています。

これにより、運用離脱期間や検査人件費の削減など、大幅なメンテナンスフリーに多大な功績を残しました。

最新型のE235系では、更に各機器の状態をチェックして必要な時期にメンテナンスを施す“モニタリング保全”への移行を目指していますが、JR東日本が創立以来実施しているメンテナンスの省力化の先駆けとなった点でも、JR東日本をはじめとする鉄道事業者に多大な影響を与えました。

また、電動車1両辺りの出力を上げることで電動車が編成に占める割合を下げ、保守部品を減らすという国鉄型とは異なる発想も採用されています。

現在でこそE233系以降の機器二重化思想が広まってE231系の電動車増加なども行われていますが、209系以降もE231系・E501系・E531系など、数千両もの電車がこの設計思想を受けて製造されたことを考えれば、決して失敗だったとは言えないでしょう。

乗務員にとって大きな変化となった左手操作のワンハンドルマスコンの採用も、現在ではごく当たり前となっていますが、試作車では2ハンドル車も製造されているように、209系が生み出したものです。

寿命半分!?早過ぎる引退と現在

209系に対して“寿命半分”だったり、それを揶揄した使い捨て電車……として“走ルンです”などといったあだ名もありますが、これは半分正解で半分間違いです。

車両更新時期に余剰の車両を廃車としても問題ないコストとすることで、より効率的な車両更新・転用が出来る様に計画された電車でした。

この設計を生かして、機器更新と共に編成短縮、房総地区の113系代替のために転用改造が施され、現在も2000番台・2100番台として活躍しています。

現在、一部の転用車両は既に京浜東北線で活躍した時期より房総半島を走る時期の方が長くなっていますが、房総地区でもワンマン化に合わせた代替が噂されています。

一方で、南武線向けにも2200番台が登場していますが、E233系の直接投入などで現在は姿を消しています(千葉支社のジョイフルトレイン=B.B.BASEの改造種車にもなりました)。

このほか、試験車・訓練車で多く活躍しています。

白い209系試験車“MUE train”は、E235系などの最新型電車の開発に大きく貢献した試験車で、試験車両としては珍しく10年近く各地を走行しています。

川崎重工が製造したウラ2編成をベースに改造されており、貴重な生き残りとなっています。

訓練車と呼ばれるグループは、車籍こそ存在しないものの、2両編成に改められて東大宮・久里浜・新秋津で乗務員育成のために活躍しています。

現在では3000番台改造の1編成が加わったほか、営業用車両同様の機器更新が施工され、0番台由来の訓練機械は久里浜・新秋津・長野に配置されています(関連記事参照)。

この訓練機械は、その沿線の電車の路線カラーを採用しているため、209系0番台では存在しなかった湘南色・中央線のオレンジ色・横須賀色・長野色といった新形態が登場しました。

さらに、クハ209-7,208-7は大宮駅周辺の施設で再活用されています。

再度置き換えの話も絶えない昨今ですが、既に東京総合車両センターで試作車が保存されているように、JR東日本の現在になくてはならない凄い電車でした。

去就も気になるところですが、最後まで輝かしい活躍を祈るばかりです。

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