横浜高速鉄道みなとみらい線開業15周年!開業の歴史と今後

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東急電鉄東横線の横浜~桜木町駅に代わる新路線として横浜高速鉄道・みなとみらい線が開業してから本日で15周年となります。

今日では東京メトロ副都心線を経由して東武東上線・西武池袋線まで直通しているみなとみらい線の歴史を振り返ります。

みなとみらい線の構想・着工~苦労の末のスタート

建設の構想時のままだとJR横浜線に乗り入れていた!?

みなとみらい線の構想は国鉄末期まで遡ります。

当初の計画では横浜線・東神奈川駅からの乗り入れで構想されていましたが、国鉄末期といえば大赤字で着手した新線を放棄していた時代。

当然、工事費用のかかる海辺のトンネル新線を建設するには至りませんでした。

何とかして開業させたかった横浜市は、渋谷駅から横浜駅を経由して桜木町駅まで運行していた東急東横線に目をつけ、それを東急電鉄が承諾することにより現在の路線の計画がスタートしました。

東横線が廃止となる桜木町・野毛地域では反対運動も

京浜東北・根岸線も運行されていましたが、始発・終着駅である東横線が廃止される形となり、1987年6月の神奈川新聞一面スクープから地元からは猛反発を受けることとなります。

この補填策が現在の桜木町駅か野毛地区に続く地下道「野毛ちかみち」建設となっています。

当初計画より大幅に遅れた工事・そして開業

なんとか工事を開始したみなとみらい線ですが、横浜駅の地下化工事が難航しました。

当初の神奈川新聞報では1995年(平成11年)目標、工事現場では1999年(平成11年)開業と記されていました。

更に、2002年(平成14年)ごろには、先行して現在のみなとみらい駅~元町・中華街駅の先行開業も検討されましたが、費用面や車両の検査・所有の問題もあって実現せずに全線開通を待つことになりました。

2003年(平成15年)11月に線内試運転をするため、東急電鉄から9000系9008編成、横浜高速鉄道側からはピカピカのY500系のうちのラストナンバー、Y516編成がトレーラー・地下への仮線を用いて搬入されました。

2004年(平成16年)1月30日をもって東横線の横浜駅~桜木町駅が運転を終了、31日にはみなとみらい線内を回送として運転する形での習熟訓練を実施。

そして2004年(平成16年)2月1日、悲願の全線開業を迎えました。

運転士・車掌は東急乗務員

運行区間が短い(4.1km)こともあり、全区間を東急電鉄の乗務員が担当しています。

駅の運営については当初は東急電鉄子会社の東急レールウェイサービスが担当したのち、現在は東急管轄駅の横浜駅を除いて自社職員が運営しています。

東京メトロ日比谷線・南北線・都営三田線からの直通臨時列車も

開業初年のゴールデンウイークには、さっそく東急1000系を使用して北千住~元町・中華街駅間を全区間急行で運行する「横浜みらい号」が運転をされました。

夏の運転から「みなとみらい号」に名称を変更したほか、年末には都営三田線高島平駅・埼玉高速鉄道線浦和美園駅から運転がされました。

この際には都営6300形・埼玉高速鉄道2000系が横浜高速鉄道に乗り入れることとなり、大きく注目を集めています。

全線がホームドアの東京メトロ南北線用9000系や埼玉高速鉄道2000系には転落防止幌が付いていなかったことを理由に南北線方面は後に東急車に置き換えられた(都営6300形は、みなとみらい号運転のために転落防止幌の取付器具が一部編成に設置されていたため継続)ほか、東急目黒線の武蔵小杉駅~日吉駅延伸をうけて下り列車のみの片道運行となっています。

三田線発着は2009年(平成21年)、それ以外は2010年(平成22年)の運行を最後に設定がされていませんが、目黒線の日吉駅延伸や後述の副都心線乗り入れでその使命を全うしたと言えるでしょう。

副都心線直通工事と乗り入れへ

東京メトロ副都心線は東急東横線との乗り入れを計画に着工しました。

これはすなわち、ほぼ全列車が相互直通運転をしているみなとみらい線も副都心線直通に対応する必要があります。

車両の改造

設計は東急5000系列そのままのY500系は、東急車同様にATO装置などのワンマン運転対応工事を行うこととなりました。

これにより、前面行先表示器の下の黒縁部分が大きくなり、前面の印象が変わっています。

このほか、開業以来使用していた方向幕についても、メトロ・西武・東武のそれぞれの種別・色に合わせるために新調されています。

東上線では「各停」ではなく「普通」、急行についても東急・東武の「EXPRESS」、メトロ・西武の「EXP.」などの細かい違いもそれぞれ作られて、様々な種別・行先でファンを楽しませてくれています。

施設の改良

従来の東急東横線・みなとみらい線では東横線規格の8両編成のみでしたが、東武・西武・メトロでは有楽町線乗り入れ時代から10両編成で統一されていました。

副都心線と東急東横線が相互直通運転を目指すにあたり、東横線・みなとみらい線の急行以上の停車駅については10両編成にて運行するためのホーム延伸をすることとなりました(各停用にはメトロ側も7000系の編成短縮により8両編成を用意)。

開業間もないみなとみらい線にとって、準備工事こそしてあったもののその費用負担は結構なものでした。

新線開業時は駅舎デザインなどに拘りがあり、オシャレな横浜にふさわしい内装だった各駅ですが、ホーム延伸部分についてはコンクリートむき出しのトンネルなど、苦しい財政状況が垣間見れます。

念入りに行われた乗り入れ試験

頭端式の東横線渋谷駅は乗り入れ前夜まで8両編成のみの対応でしたが(深夜試運転を除く)、武蔵小杉駅~元町・中華街駅間については信号設備の対応が済んだ半年前から、メトロ・東武・西武の車両を使用した試運転が連日のように運行されました。

このため、代官山駅切り替えが行われる前夜まで線路が繋がっていなかったので、東急目黒線~東京メトロ南北線~東京メトロ有楽町線を経由して車両の入れ替えを行なっていました。

メトロ10000系・東武50070型以外はこの直通運転が具体的になる前の設計の車両であり、車両の寸法も東急電鉄より一回り大きかったため、接触しないか入念に試運転をしたのち、多くの形式の特徴を運転士に覚えてもらうべく毎日何往復も乗務員訓練が行われました。

更なる乗務員習熟のため、メトロ・東急双方で8両編成を試験運行し、特に東急電鉄側では直通運転開始のPRにすべく、ホームページで運用を公開するなどして大きな話題を集めました。

この際にはメトロ車は広告なしで東急東横線・みなとみらい線を走り、東急車は貸出先のメトロ・西武・東武の車内広告をつけて走っています。

そして迎えた2013年の代官山駅の大工事を経て、みなとみらい線には森林公園・飯能といった様々な駅名が並んで多くの観光客が利用、賑やかになりました。

事故により一編成が廃車・代わりはお下がり

都内では珍しい積雪をした2014年(平成26年)2月15日、東横線はダイヤが乱れながらも運転を続けていました。

そのなかで、東横線元住吉駅入線中の各駅停車が雪によりブレーキの効きが著しく低下、その結果、先行する各駅停車に衝突するという悲しい事故がありました。

奇しくも追突した5155編成は東急車ではじめてメトロに貸し出されて営業運転をした編成であるほか、5555号車というゾロ目車両、Y516編成はラストナンバーで今までも様々なラッピングを纏っていた編成かつ、はじめてみなとみらい線を走った自社保有車両でしたが、どちらの編成も損傷の大小を問わずに編成単位で廃車となりました。

東急電鉄では代替編成として(これ見よがしに)スノープロウを搭載した5177編成を製造しました。

横浜高速鉄道側としては自社保有の車両を事故で失ったので補填を求めましたが、Y500系列は5050系より一世代前の5000系2次車がベースでこのシリーズの中では比較的経年車でした。

そこで、事故車の続番である5156編成を横浜高速鉄道に譲渡、横浜高速鉄道Y500系5156編成、のちに外装と番号を改めたY517編成となりました。

種別・行先一体型のFC-LEDを搭載しているほか、内装は5050系のそのままですので一目で判別がつくほか、既存のみなとみらい線独自の派手なグラデーションもすでに少し退色していたので、鮮やかな外観とグレーのままの屋根も特異な珍編成が生まれました。

代替新造にまつわる動きは別記事で詳しく解説しています。

みなとみらい線の未来

この春のダイヤ改正では、今後の安全対策として全駅にホームドアを設置すべく停車時間が調整されるようです。

また、みなとみらい線の延伸構想として、元町・中華街駅から本牧・根岸駅方面への延伸構想があるものの、事実上の凍結状態となっています。

根岸線の関内駅・石川町駅がまだまだみなとみらい地区・元町地区へのアクセスのシェアを多く持っていることもあり、先述のように思うように収益をあげられていないこともあるので、なかなか前進する気配をみせません。

開業前も開業後も苦労が絶えなかったみなとみらい線も今日で15年。

次の15年は延伸や利用者増などの明るいニュースが続くことを願ってやみません。

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コメント

  1. どくしゃ より:

    なんだか、開業時の苦労が薄くて、東京メトロとの直通の方が凄いことだぜみたいな感じがしました